音楽

ピンク・レディー メンバーのプロファイル、懐かしの名曲を厳選して紹介します。

ピンク・レディーは1970年代後半に一世を風靡した日本の女性アイドルデュオです。

斬新な振付とキャッチーな楽曲で多くのファンを魅了しました。

本記事では、メンバーの未唯mie(根本美鶴代)と増田惠子のプロファイルを紹介し、彼女たちの経歴や代表的なヒット曲を振り返ります。

昭和の音楽シーンを彩った彼女たちの魅力を再発見しましょう。

ピンク・レディーのメンバー

未唯mie(根本美鶴代)

 

名前 根本美鶴代
芸名 未唯mie
生年月日 1958年3月9日
芸名の由来 「ミー」という愛称から、ソロ活動開始時に「未唯mie」に改名。
出身地 静岡県静岡市
出身高校 常葉高校
身長 165cm
血液型 A型
職業 歌手、女優
主な活動 音楽、舞台、テレビドラマ出演

ピンクレディーのメンバーである未唯mie(根本美鶴代)のプロフィールについて、上記の一覧表にまとめました。

元々「ミー」という愛称だったため、ソロ活動時に本名から「未唯mie」に改名をしています。

静岡県静岡県出身で、高校卒業後に増田惠子と共に上京しています。

増田惠子

名前 増田惠子(旧姓:増田啓子)
生年月日 1957年9月2日
芸名の由来 「ケイ」という芸名は、本名「啓子」の「ケ」に由来。ソロ活動時には「増田恵子」として活動。
出身地 静岡県静岡市(後の葵区)
出身高校 不明
身長 162cm
血液型 O型
職業 歌手、女優
主な活動 解散後もソロ活動を継続し、音楽や演技など多方面で活躍

ピンクレディーのメンバーである増田恵子のプロフィールについて、上記の一覧表にまとめました。

元々「ケイ」という愛称だったため、ソロ活動時に本名から「増田恵子」に改名をしたのです。

静岡県静岡県出身で、高校卒業後に未唯mie(根本美鶴代)と共に上京しました。

ピンク・レディーの経歴

  1. 静岡県で幼少期を過ごす
  2. 学生時代にデュオを結成
  3. コンテストをきっかけにアイドルデビュー
  4. 人気曲を立て続けにリリース
  5. 日本国内での人気低下を理由に解散
  6. 数回にわたって再結成が行われる

ピンクレディーの経歴について、上記にまとめました。

ここからそれぞれの経歴について、1つずつ詳しく解説していきます。

静岡県で幼少期を過ごす

両メンバーとも静岡県静岡市(現在の葵区)で生まれ育ち、中学校時代に出会ったのです。
二人は中学校の演劇部で親交を深め、歌やダンスへの情熱を共有しました。

学生時代にデュオを結成

高校時代に「キャンディーズ」に影響を受け「クッキー」というデュオを結成。
ヤマハのオーディションに参加し、特待生となり、1974年には「スター誕生!」で優勝したのです。
1976年、ピンクレディーとして「ペッパー警部」でデビューし、大ヒットを記録しました。

コンテストをきっかけにアイドルデビュー

ピンク・レディーは1976年の「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出場し、これがデビューのきっかけです。
8月25日、「ペッパー警部」でビクターレコードからデビューし、すぐに大ヒット。
続くシングル「S・O・S」や「カルメン'77」もヒットし、一躍トップアイドルとなりました。
「渚のシンドバッド」「UFO」「サウスポー」など次々とヒット曲を連発し、1970年代後半の日本の音楽シーンを席巻したのです。

人気曲を立て続けにリリース

リリース年 ヒット曲名 オリコンチャート順位
1976年 ペッパー警部 1位
1976年 S・O・S 1位
1977年 カルメン'77 1位
1977年 渚のシンドバッド 1位
1977年 ウォンテッド(指名手配) 1位
1977年 UFO 1位
1977年 サウスポー 1位
1978年 モンスター 1位

上記のように多くのヒット曲をリリースし、オリコンチャートで1位を獲得しました。

日本国内での人気低下を理由に解散

1980年9月1日に解散を発表し、1981年3月31日に後楽園球場での解散コンサートをもって正式に解散しました。
解散の理由は、人気の低下やメンバーの個人的な事情(結婚など)です。

数回にわたって再結成が行われる

1984年 解散から3年後に再結成
1996年 結成20周年を記念して再結成し、ツアーやイベントを実施
2003年 NHK紅白歌合戦出演のため再結成
2010年 解散宣言から30年後に本格的な再結成を発表

    ピンクレディーは上記のように、解散後も複数回にわたって再結成が行われました。

    ピンクレディーには解散後も多くのファンがいたため、再結成コンサートを開催すると一気に盛り上がりを見せたためです。

    昭和のアイドルを象徴する存在として、ピンクレディーが輝き続けた証拠だといえるでしょう。

    ピンクレディーのメンバーの現在は?

    • 未唯mie(根本美鶴代)
    • 増田惠子

    ピンクレディーのメンバーそれぞれの現在の状況はどうなっているのでしょうか?

    ここから各メンバーの現在について解説します。

    未唯mie(根本美鶴代)

    未唯mieさんは、今もソロシンガーとして精力的に活動しています。
    ピンク・レディー解散後、音楽活動をソロアーティストとして再開し、再結成や女優業など多方面で活躍してきました。
    SNS公式サイトを通じて情報発信を行い、ファンとのコミュニケーションを大切にしているのが特徴です。
    さらに、過去には借金に苦しんだ経験があり、その困難を乗り越えたエピソードが話題になったこともあります。

    増田惠子

    増田惠子さんは、ソロ歌手として今なお精力的に活動中。
    ピンク・レディー時代の楽曲はもちろん、ソロ作品のライブパフォーマンスも魅力的です。
    SNS公式サイトはファンとの交流を深め、日常や最新情報を発信。
    エッセイや写真を通して、彼女の多才な一面も垣間見えます。
    インタビューやメディア出演では、現在の活動について熱く語っており、彼女の活躍から目が離せません。

    今を大切に、ケイは歌い踊る ピンク・レディー時代からファンと共に

    引用元>>

    ピンクレディーのヒット曲3選

    1. 【1976年】ペッパー警部
    2. 【1976年】S・O・S
    3. 【1977年】UFO

    上記はピンクレディの代表的なヒットの3曲です。

    これからそれぞれの曲について、1曲ずつ紹介していきます。

    【1976年】ペッパー警部

    「ペッパー警部」は、1976年にリリースされたデビューシングルで、大ヒットを記録。
    阿久悠が作詞、都倉俊一が作曲・編曲を担当。
    テンポの良いディスコビートと印象的なメロディーが特徴で、恋人同士のコミカルなやり取りが描かれています。
    振り付けが特徴的で、多くの人々が真似をすることで一層人気が高まりました。

    ペッパー警部の動画はこちら>>

    【1976年】S・O・S

    「S・O・S」は1976年11月に発売されたシングルで、キャッチーなメロディーと「男は狼なのよ気をつけなさい」という有名なフレーズが印象的。
    多くの音楽番組で披露され、その斬新なパフォーマンスが話題に。
    日本の音楽市場で新しいアイドルとポップミュージックのニーズに応えた楽曲です。

    S・O・Sの動画はこちら>>

    【1977年】UFO

    「UFO」は1977年12月に発売され、幻想的な歌詞とキャッチーなメロディーが特徴。
    ピンク・レディーの独特な振り付けと衣装が視聴者の心を掴み、特に「UFOポーズ」が非常に有名に。
    1970年代後半、日本の音楽シーンを象徴する楽曲です。

    UFOの動画はこちら>>

    まとめ:ピンクレディーのメンバーは未唯mieと増田惠子

    ピンク・レディーは昭和のアイドルを象徴する存在として、今も多くの人々の記憶に残っています。

    解散後も何度か再結成を果たし、現在もそれぞれが音楽や演技の分野で活躍中です。

    彼女たちの名曲を聴きながら、当時の熱狂を思い出してみてはいかがでしょうか。

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